ナラ枯れ西山に拡散、市内の山々全域で被害 [ニュース]
今夏の猛暑で被害が拡大した東山のナラ枯れ被害が市内全域に拡散している。秋の紅葉の季節を迎えて山々は例年と違う風景を見せようとしている。嵯峨野の東の入口となる広沢池の背後にある遍照寺山も目視で三分の一が枯れて無残な姿を見せている。
源氏物語にも登場して、京都人には「雅」の代表的な景観を醸し出してきた山もダウン寸前である。夏に報告のあった吉田山、大文字山などの東の代表的景観と同じような状態と言える。京都府・市の調査では今夏2万本近くが枯れたとしている。
10月29日ようやく近畿6府県と三重県、林野庁近畿中国森林管理局が合同の対策会議を開いた。被害は1991年に出始めたことが報告されているが、すでに20年を経過している。その結果とくに京都府は9割を占める被害となっといる。府は9月補正予算で1000万円の対策費を盛り込んだ。里近くまで及んできた被害対策を食い止めるため伐採を中心とした費用に充てるという。
(JANJANブログニュース 2010年10月31日発記事化)
ナラ枯れの遍照寺山中心部↓
同じく山全体の風景↓
10月31日の広沢池と遍照寺山↓
参考写真
広沢池は古来からの嵯峨野散策への入口。2007年11月23日の風景↓
2006年11月28日の広沢池↓
2004年11月24日の広沢池↓
ナラ枯れが爆発的に拡がっている京都の大文字山、吉田山。山背 龍
速報!鞍馬の火祭の町中 [ニュース]
10月22日の鞍馬の火祭、今年は上の村と中の村との両地域を行き来しての撮影。三脚と3尺脚立を持って、見物人の中を突進。主に子供たち、青年、大松明の並びなどをメインにした。
S5491子供が担ぐ
S5566隣町とのあいさつ
S5589挨拶に集まる大松明↓
S5537街道を進む↓
S5524大松明を担ぐ顔
S5523剣鉾の前でのお迎え↓
D4716重さに耐える
S5552バランスをとる↓
S5583剣鉾立てる ↓
D4736重なる大松明
京都の奇祭と言われる鞍馬の火祭が10月22日夜京都市左京区鞍馬一帯で行われた。18時の「神事にまいらっしゃりませ」と白装束の青年が街道筋に告げて通ると一斉にかがり火に火が入った。まず幼児や子供たちが小松明を「サイレイヤサイリョウ」の掛け声とともに町の中を行ったり来たり。そして長くて4メートルもある大松明が燃えだし数人がかりで担いだ青年たちも町内に繰り出した。
地元の鞍馬小学校は全生徒14人と少子化の真っただ中にある。940年に由岐神社を鞍馬に遷宮したことから始まったとされる祭り。それだけに行く末が心配な面もあるものの、子供たちには大人に交じって歴史のある祭りに参加できるとあって大いに楽しんでいた。担いだ背中から火の粉が落ちるので独特の衣装で身を守りながらの練る歩きだ。
祭りは4つの地域に分かれた鞍馬の町をそれぞれの町内を松明を担ぎながら肩慣らしをして、地域の境目に松明が集まるとお互いに挨拶しあい振る舞い酒を飲み空かす。そして20時30分ごろ家に立てられていた剣鉾を道の中央に立て始めた。松明も神社石段下に集合して立て燃やしつくす。街中が火の海となる瞬間で、祭りは最高潮となった。界隈には身動きできないくらいの見物人が押し寄せていた.
桜に異変、京都賀茂川で山桜咲き誇る [ニュース]
京都で桜がこの季節咲きだした。賀茂川では上流の西賀茂橋付近で2本がほぼ満開状態となっている。川べりを走ってみると多くの木で葉がすでに落ちていて、温かさが続くとさらに増えそうだ。この夏の高温で葉が枯れて落葉したためらしい。
京都では東山や北山でこの夏、いわゆるナラ枯れにより葉が赤茶色になった。それに続いての異変。この季節に花をつけた木は来春には咲かないと言われ、春も歯抜けの花見になる可能性もある。
賀茂川から少し下流の府立植物園でも山桜が咲きだしたり、平安神宮の左近の桜が咲いて話題にもなった。こちらもヤマザクラという。熊が街に出没している折、植物の世界にも異変が続いている。
賀茂川右岸で咲いた山桜↑
同じく志呂久橋下流に咲いた桜↑
府立植物園では染井吉野にも花が咲いた
植物園のソメイヨシノは葉がすべて落ちていた。数枚の葉が枝に懸命にしがみついている。しかも緑葉なのでまだまだ頑張りそうだ。従って、今年は桜の紅葉はみれない。
一方近くにも桜が一輪二輪咲いた木があった。見てみると「子福桜」と名があり、こちらは春と秋に二度咲くというのだ。しかも八重で白からピンクに変わるという。今の様子だと11月に入ると満開になるのではないか。市内の妙蓮寺には10月から4月まで咲いている桜もあるのでおもしろい。
子福桜↑
上賀茂神社で笠懸、馬上から的を射る [京の歳時記10月]
10月17日午後京都市北区の上賀茂神社で馬場を走って馬上から的を射る笠懸神事が行われた。流鏑馬と違って的が竹矢来で囲まれた中にあって馬上からは狙いにくいのが特徴。合計2組10人の武田流の射手が2回ずつ駆け抜けた。
上賀茂神社の笠懸けは1214年に後鳥羽上皇が大々的に催し、以降弓馬の奨励につとめたといわれる。鎌倉時代に最盛期を迎えた。その後上皇は「承久の変」で隠岐に流されて以降行われなかった。2006年に上皇時代の資料をもとに復活した。笠懸はより実践的なもので218メートルの馬場に往復5つの的を射抜く。最初60センチの板の的で腕慣らしした後、目玉の形をした小さな的をねらう。。さらには馬場を戻るときにも小笠懸という低い位置に立てられた12センチの的を射る。何といっても馬のスピードがものすごい。これを八幡太郎義家の子孫である甲斐源氏・武田が受け継いだ。現在は社団法人大日本弓馬会が伝承・普及につとめている。
この日は快晴に恵まれて見物日和になった。すべての的を射る射手は出なかったものの小さい的を射るたびに拍手を浴びていた。また、神事の進め方も古来の儀式を取り入れているので歴史フアンにとっても魅力ある1日となった。(PJニュース10月18日掲載)
的を射る武田流の射手
大笠懸で見事的を射る
大原のコスモス満開 [京の花名所]
花の中を歩く
左京区の大原三千院参道の中ほど南側にコスモス園が広がる。10月16日は晴れで満開となった。ここしばらく街中の催事の撮影が続いたこともあって、事務所から二輪で20分の大原に向かった。コスモスはなるほど里の中に拡がっていた。
刈りとりを終えた田んぼの中に一面の花畑だ。京都のコスモスと言えば西の高尾パークウェイにある園が花畑としては大きい。コスモスは里の中に小さな群れをつくって咲くとそれはそれで風情がある。大原もあちこちでその風景は見ることができる。
ただ花畑には花畑の美しさがあっていいものだ。定番のアップ写真を2枚ほど。光がすかして撮るのも花の魅了くである。
一方花弁に虫が寄ってくるのもいいが、時間のない当方にはその待ちができないので、茎の下のほうに隠れて咲いていたのをみつけた。こちらは上に伸びた花と違い回りが緑の中なので雰囲気も変わるものだ。
人形供養祭写真追加版 [京の歳時記10月]
撮影 2010年10月14日9時20分入り 終了12時
会場 京都市上京区 宝鏡寺
行事名称 人形供養祭
人形塚
10月14日午前京都市上京区の宝鏡寺で、境内にある人形塚にこの1年間に納めた人形を供養する法要が行われた。1959年に京人形商工業協同組合が人形を彫った石の塚を作って供養したのが始まりで52回目となった。 供養祭は吉野太夫や小袿(十二単を着ている)が献茶や献花などをした後、尼門跡寺院にふさわしく数人の尼僧が読経を唱える中で関係者や一般客が次々に焼香した。
この日は「雛人形」や「市松人形」などに限らず「羽子板人形」「ぬいぐるみ」「フランス人形」など500点が焼香台の奥に置かれた。見た目にはまだ飾っても差し支えのない人形もあって参拝者は「まだきれいですね」とささやいたりしていた。法要のあと本堂に場所を移して一弦琴や吉野太夫の「いにしえ」舞が奉納された。
会場となった宝鏡寺は1644年に後水尾天皇の皇女理昌尼王(りしょうにおう)が入寺してからは尼御所となった。幕末の皇女和宮の寵愛品などを所蔵していて、通称「人形寺」として名高い。雛祭りの3月には雛人形を中心にした展示が人気を呼んでいる。(ライブドアニュース・PJニュース10月15日掲載)
ライブドア ニュース・PJニュース使用写真↓
粟田祭の剣鉾が差す [京の歳時記10月]
撮影日 2010年10月11日 12時~16時
撮影地 蹴上、白川東通
祭礼名 粟田祭神幸祭
粟田神社の剣鉾は祇園祭が欠番の年には代行して行ったといわれている。ただし、剣鉾はこちらが本家本元との自負がある。それだけに剣鉾に対する思い入れもすごいものがある。氏子町内では18もの町で12燈とともに飾るのが習わし。そのうち近年では6基が列に加わり差している。
三栖の炬火祭(たいまつさい) [京の歳時記10月]
撮影日 2010年10月10日 17時~20時30分
撮影地 伏見区中書島界隈
祭礼名 三栖の炬火祭
1300年前壬申の乱、後の天武天皇が近江朝廷との戦に向かう途中この地域を通過した時かがり火を焚き照らしたのが由来とされる。炬火は高さ役5メートル、直径1.5メートル、重さ1トン。担ぎ手約30人。京橋まで歩く。点火は20時。